心理セラピストのあなゆきです。
自己肯定感が持てない、自分に自信が持てない。
このようなご相談が寄せられた時、私はその方が置かれていた子ども時代の環境や、ご両親との関係についてもお話を伺います。
ご両親の子育ての態度が、自己肯定感の形成に影響をもたらしている可能性があるからです。
今日は、「矯正子育てと自己肯定感の関係」について考えていきましょう。
矯正子育てとは
矯正子育てとは「両親の価値観だけに合わせて子育てをする」という意味です。
分かりやすくお伝えするために、私が便宜上考えた言葉です。笑
この「だけに」がポイントです。
価値観や理想像を持って、子どもと向き合っていくのはむしろ必要なことだと思います。
何も考えずに子育てしていくというのは、目指すゴールが分からないまま、知らない街をガイドするようなもので、親子で路頭に迷ってしまうかもしれませんから。
でも、自分の価値観だけに頼ってそこに執着していく子育ては、一方的な矯正となっていく危険をはらんでいます。
- 女の子はこうあるべき、とか。
- 学校はいくべき、とか。
- 左利きではきっと将来困るから右利きに変えていかないと、とか。
親は自分がしてきた苦労は子どもにはさせたくないし、大人としての価値観が凝り固まっているから、
どうしても「べき」が出てきやすいですね。
我が子にはできるだけ「こうあるべき」に近い形で育っていってもらった方が自分たちが安心だと思っているんです。
でも、べきを行使すればするほど、矯正となっていくのではないでしょうか。
矯正子育てが、大人になって苦しみを生んでいるケース
心理セラピーには、「矯正されてきた」人も多くお見えになります。
左利きを右利きに直さないとダメだと厳しく父親から躾けられていたけれど、
子どもだからついつい左手でお箸を持って食べようとしてしまう。
それが見つかった瞬間、叩かれていました。
医者家系なんだからあなたも医者になるのよね、と子供の頃からずっと言われ続けてきて、正直、自分の夢とすりかえられた、親のための人生を生きてしまっている、と思ってしまいます。
習い事も志望校も友人関係も就職も、全部親の指示に従ってきました。自分で決めたことなんてなかったです。
「女の子は気立てが良くてニコニコして難しいことを言わないのが一番だ!」とステレオタイプの女性像でいることを親から求められていたので、自分の意見を言うことや表現することは苦手です。
子どもの頃は、親の希望に合わせていこうと頑張ってきた人が、大人になってから苦しくなってきちゃった、という方がすごく多いんです。
親に対する違和感や抵抗、嫌悪感を感じて苦しい人もいるし、
親の理想に応えられなかった自己嫌悪で苦しんでいる人もいます。
親との関係性に悩んでいるのと同時に、自分の扱い方に悩んでいる人がほとんどです。
「自分がなにものか分からない」「自信がもてない」「自分軸がない」
そう感じている人が多いのです。
自分自身とうまく付き合えなくなっているんですね。
親との関係性の問題よりも、自分と仲良く出来ないことの方が辛いし、苦しいはずです。
仕事にも、パートナーシップにも、すべてに影響が出てきます。
親の誘導力が強かった場合、ある意味、自分のことをあまり知らなくても人生は進んでいくんですね。
もしくは、自分を知るということを許されなかったというか、できない状態だったというケースもあります。
自己理解というのはこういうことです。
- 自分がどう思うか、どう感じているか、をちゃんと分かっている。
- 好きか、嫌いかを自分に言える。
- やりたいか、やりたくないかを自分に言える。
- ワクワクしてるか、退屈か、自分の状態を分かっている。
- 何が大切で、何がどうでもいいことなのか、はっきりしてる。
感じる自由、表現できる自由が渡されていないままに大人になった、という方も大勢いるのです。
大切な子ども時代に、親からの矯正が多かったことによって、自己理解と自分を肯定する心がうまく作れなかったのでないか、そう思わざるを得ないんですね。
私自身も思い当たりがあるな
私は、良い意味で期待値の低い両親だったので、あまり何かを押し付けられたという記憶はありません。
おおかたのびのび育ててもらったと思うけれど、それでも「親から見た正しさ」や「心配度」という物差しに測られていたと思うのです。
ピアノの発表会でピンクのひらひらドレスが着たかったのに、
「悪目立ちしないで、他の機会でも着られるから」と紺色に白襟のワンピースを与えられたこととか、おてんばな友人と一緒にワイルドな遊びをしたかったけれど、「身体が弱いからだめ」とたしなめられたりした記憶が蘇ります。
よくよく掘り下げてみると、子ども時代に親からかけられた言葉の数々は、私のセルフイメージとか、思い込みを作っているんです。
こんな感じですね。
- 私は身体が弱いから無理をしちゃいけない
- 目立つことは危険だ
- 文系一家だから、数学や理科は苦手でも仕方ない
- お姉ちゃんだから、弟に譲るべき
じゃあ、矯正しない子育ては自己肯定感を高めるのか
知人に「矯正しない子育て」を実践されているご夫婦がいます。
矯正しない、とはこういう定義です。
親の価値感の押し付けをしない。
持って生まれた気質や性質・嗜好を知って、できるだけそれを尊重したい。
その姿勢が結構徹底していて、昭和の教育を受けてきた私は舌を巻きました。
子どもに対して一方的になにかを押し付けるということを一切しない子育てだからです。
たとえば、着るものについて。
そのお母さんは、基本的に色のないものを赤ちゃんに着せていました。
白とか生成り色とか。
デザインは奇をてらわないシンプルなもので、男の子でも女の子でもいける感じのもの。
私はずっとそれはお母さんの趣味なのだと思っていたのですが、そうではなかったんです。
まだ本人の趣味嗜好が分からないうちはできるだけニュートラルにしておきたかったから、あえてそうしていたそうなんです。
「子供が大きくなって写真を見た時に、違和感がないようにしてあげたくて。
たとえば、女の子だからピンクだよね、花柄だよね、と着せていても、もしかしたらこの子はブルーが好きなのかもしれないしメンズライクな嗜好があるかもしれない。
女子=ピンク&花柄だよね、というメッセージを与えてしまったら、子供が不自由を感じるかもしれないでしょう。
だからできるだけ、色のものは与えないできました。
自分で選べるようになったときに、押しつけられた価値感から選ばないように」
そのお子さんが成長に伴って、自分で好きな服を選ぶようになった時も、親側も尊重の気持ちのままでいるように心がけていたそうです。
「彼女のしたい、着たい、という気持ちを信頼しています。
機能性や便宜性を考えてしまうと、今日はこっちの服の方がいいんじゃない? なんて思ったりもするけれど、基本的には、その日の彼女の気持ちを最優先します」
自分で決められる。
自分で決めていいんだよ。
というメッセージを日々の暮らしを通して、自然な形で伝えていきたいのだそう。
はさみやお箸は、左手用と右手用の両方を用意しています。
それは利き手の尊重のため。
持って生まれた特性を尊重してあげたいから、あえて両方を与えてみる。
利き手がまだはっきりしないので、両方を使ってみることで、自然にフィットする方を選ぶようになるそうです。
「どうも右利きみたいです。
でも文字を書くのは左を使うこともあって両方使いになっていますね。道具によっても使いたい方があるみたいで、その時々で、すごく自由に左右を使っていますね」
私も、そのお子さんには、赤ちゃんの頃から折に触れて会っているけれど、本当にのびのび育っています。
踊ったり、歌ったり、よじ登ったり。
好き、嫌いもちゃんと言えて。
見ていると、何が自分をHappyにさせるかをちゃんと分かっている感じなんです。
小さいながら、自分のことを良く知っているんですね。
この記事を書いていたら、ちょうどその子のお母さんからLINEがあってこんなお話しを聞かせてくれたんです。
「この間、子どもが、I am JOY. I am HAPPY.っていきなり言ったんです。私は喜びで幸せなの、って、いい言葉だなぁって思いました」
(あ、このご家庭は、外国と日本を行き来しているので、英語もお話しできるお子さんなんです。なので英語)
自分自身が喜びの存在だって思えているって良いよなぁ。
周囲も喜びの波動で包みますよね。
このまんまの感覚で生きていってほしいです。
その親子を見ていると、やりとりに尊重の姿勢が溢れています。
矯正されないっていいな。
決めつけがないって素敵だな。
素直にそう思うんです。
子どもを信頼している親の目線と
それに包まれて安心して成長していける子ども。
ひとつの事例をご紹介したにすぎませんが、矯正しない子育ては、お子さんの自己肯定感を育むことを邪魔しない、といえるのではないでしょうか。
ひまわりに4月に咲けと言ったらどうなるか
親の矯正が長期間に渡って続くと自分の考えとか価値観、強みがわからなくなってしまうんです。
持って生まれてきたギフトをそのまま活かせなかったら自分のことがよく分からなくなるし、自己肯定感も育ちにくいと思うのです。
この状況をお花にたとえてみます。
たとえば、夏に花を開かせるひまわりに対して「4月に咲いてね」と無理難題を持ちかけるようなものじゃないですか?
「桜は4月に咲けるじゃないの、どうしてあなたは咲けないの?」とめちゃくちゃな理論で怒られたら、どうでしょう。
桜を見習って自分も4月に咲かないといけない、と無駄な努力をしようとするかもしれません。
桜と同じようにできない自分をダメ出ししてしまうかもしれません。
「自分はひまわりなのに、なんで桜にならなくちゃいけないんだよー!」と抵抗感が出てくるかもしれません。
ひまわりは、自分のことがよく分からないし魅力を出せないままで、自信を失ってしまうでしょう。
自己肯定感が低いあなたへ
自己肯定感が低い、自分のことが好きになれないという悩みを持っているなら、子ども時代からの親との関係性についてみつめてみましょう。
- 親の言動からどんな影響を受けてきたと思いますか?
- それによって作られた自分像(セルフイメージ)はどんなものでしょう。
- 親の態度で違和感や抵抗感を覚えるのはどんな時でしたか?
もし、あなたが親の意見や誘導に対して、抵抗感をはじめとするネガティブな感情や感覚(違和感、嫌悪感、きゅうくつな感じ、居心地の悪さ)を覚えていたら、それを大切に扱ってください。
感じてはいけないと押しとどめる必要はありません。
親を恨んではいけないのに、と罪悪感を感じないでください。
湧き上がる思いや感情は、そのまま出してあげましょう。
親を悪者にすることや関係性を修復することを目的とするのではなくて、自分で自分を縛っている部分がないかを見つめていくためです。
実は、苦しみは、親の矯正によって生じているのではなくて、それを信じて実行している「自分矯正」なのです。
自分矯正している部分を解放してあげましょう。
それが、自己肯定感を高めるベースになります。
それには、まず自分のことを観察して、深く理解してあげることが大事です。
自分のことを知って、自分を大切に扱うことを優先しましょう。
自己理解が進むと、自分らしい生き方、ということが自然に分かります。
「私はひまわりだった」と分かったら、今度は「らしさ」を追求していくことが出来ます。
「ひまわりはひまわりらしく、盛夏に堂々と咲き誇る存在として生きたい」
とてもシンプルな信条が胸に響いていきます。
そのシンプルな信条を尊重して生きることが、自己肯定感だと私は思っています。